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100日修行 5


邪気を浄化する


 

『実践!自宅で0円でできる!橋本あきらのクレンジング~100日修行~』の続編エフィカシーが上がらない人にオススメの『邪気を浄化する方法』

 今回は、橋本明頼が日々実践している『邪気を浄化する方法』を、無料で公開してまいります。

 

 20084月に、私がドクター苫米地ワークスに参加した時から、日々実践してきた100日修行》を、これまで公開致しましたが、書いているうちに、「あれ?この内容は100日修行に取り組む前に知っておく情報じゃないか!」……と気がつきましたので、追記しています。

 

 《100日修行》のクレンジングを進める時に……邪気を浄化することが、ひとつの大きなポイントなので、その方法を理解することで、あなたのクレンジングが先に進むと考え、橋本明頼流のやり方を公開していくことにしました。 100日修行》に取り組むために必要な知識を、どんどん公開することで、ヒーラーとしての心身の下地作りに取り組むあなたを応援していきます。

 

*ヒーラーとは、どんな仕事をしていたとしても、人と対面する場合は、相手にヒーリングしていくことができる人のことです。接客業でなくても、上司と部下でも、家族間でもそうなのです。

 

 自分でできる100日修行》に取り組み、あなたの自己イメージを変え……やり切った時に、あなたの氣は清々しくなり、他者への影響力も変化していくことでしょう。

 相手の情報を読み取る能力も、相手に伝える力も格段に上がっているでしょう。

 

 無料で公開するのは、お金という心理的なブロックがある人にも、『自分には可能性がある!』『もう大人になってしまった自分でも、今からでも変われる!』ということを体験していただきたいからです。

 もし、あなたが現状の自分に悩み苦しんでとしたら、ぜひ実践してください。あなたの人生は、いつからでも変えることができます。その方法は、『100日修行』で心身の調整をしていくことからです。

 

 

 

 

 


邪気ってなに?


 『邪気』というものは、東洋医学での概念になりますが、私が考える『邪気』というのは、『情動記憶』に関係しています。

 過去に経験したものの記憶のうちの『情動記憶』のことで……怒りや悲しみ、恐怖心…というネガティブな情動だけでなく、喜び・楽しさ・誇らしさなどのポジティブな情動の中で、特に《強い情動を初めて経験した時》の記憶のことです。

 

 この『情動記憶』によって、自己イメージが作られていく過程で、「マイナスの自己イメージ」になっていく元となっていると考えています。

 私は、自己イメージがネガティブになっている原因が【強い情動の氣】として『邪気』に見えており、その『邪気』によってエフィカシーが上がらない……という流れになっていることが多いと感じるのです。

 

 これまでみてきたクライアントの特長として、ゴールを設定し、アファメーション等を色々やっているのに、エフィカシーが上げられずに困りどうしても人を羨み、自己否定のループから抜け出せずに悩んでいることがありました。

 

 どうやったら自己肯定できるのか解らず、そうしたいわけではないのに、他者を妬み、蔑み、他者否定をしてしまう無意識の反応から逃れられないでいるパターンが見受けられました。

 

 そんな時にできる事は、100日修行》で自身の心身のバランスをとること。100日修行》では、心も身体も動かして行くやり方があります。

 それは、あきら流のやり方なのですが 《100日修行》を行う前に、【ゴール設定】をすることがとても大事なことです。そして、【アファメーション】をすることです。

 

 今回は、自分の心に響くアファメーションの作り方を、私の事例を通して書いて行きますね。

 

 《情動記憶》が蓄積されている【無意識】自体に介入して働きかける方法は、私のヒーリングで、クライアントの情報を共感覚で捉え、それを『邪気』として視覚化・触覚化したものを変化させるためにクライアントの無意識(情報場)に介入していきます。

 自身の共感覚・様々な技術を使って『邪気を浄化』しているのですが、

 

私自身は、自分の『邪気』に対しては《100日修行》の中で行っていきました。このページでは、その私のやっていた方法を公開していきます。

 

 

 《100日修行》を本気でやってみようと思う方だけ、先に進んで下さいね。 まだ本気ではない方は、本気になった時に改めてこのページを開いて下さい。

 私は、真剣に取り組むあなたには……いつでも味方でいることを覚悟して、この小冊子に思いを込めています。ここに書いてある文章からも私のエネルギーを感じ取ることが出来るでしょう。

 

 

 そして、『無料!一斉遠隔ヒーリング』を定期的に行って行きますので

 

そちらもぜひご活用下さいませ。

 

 

 

 

 


『邪気』の元になっている情動記憶とは?


 

苫米地博士の著書『コンフォートゾーンのつくり方』

 

(フォレスト出版)より引用します。 

 

 

 

**** 引用開始 ****

 

 

 

P.34  人間にとって意味を持つ過去

 

 

 何が重要な情報かを決めるのは自分の過去であるということをユニット2で述べましたが、ここでいう自分の過去とは何でしょうか。

 

 人間にとって意味を持つ過去は、それを意識しているいないにかかわらず、おしなべて強い情動をともなった過去です。その記憶は、情動記憶と呼ばれます。

 

 つまり、情動記憶があなたにとって何が重要なのかをつねに決定しているのです。

 あなたが持つハビットやアティテュードも同じです。 

 

 ハビットとは、一般的に習慣と訳されます。

 

 

 ただ、ここではもう少し広い意味を持つ言葉として使っています。たとえば、普段ついこうしてしまう癖などもハビットに含まれます。毎日の日常の中で、当たり前のように無意識で行うこと全てをさしています。

 

 一方のアティテュードは、態度というよりも、行動の性向であり、日常の無意識の選択のことです。

 

 たとえば、毎朝、当たり前のようにコーヒーを飲むのはハビット。「コーヒーにしますか、紅茶にしますか?」と尋ねられて、「コーヒー」を選ぶことがアティテュードです。

 こうしたハビットとアティテュードも、実は情動記憶によって決められています。

 

 つまり、情動記憶は、ハビットとアティテュードという日常の無意識の行為と、ものの見方、考え方との両方を決めています。

 言い換えれば、私達の自我の行動を制約しているものは情動記憶である、ということなのです。

 

 

 

     情動記憶とは?

 

 では、情動記憶とはどのような記憶でしょうか。

 

 情動記憶とは、強い情動をともなった出来事の記憶です。失敗の記憶など、悪いことだけを取り上げて考えられがちですが、幼いころの体験など良い情動記憶もあります。

 

 たとえば、子どものころにレストランで騒いで怒られた日とは、レストランでは騒いではいけないという情動記憶が残ります。怒られる体験は強い情動をともないますから、これは当然のことでしょう。逆に、レストランでおとなしくしていて褒められた経験を持つ人も同様です。

 

 このようにして刻まれた、レストランで騒ぐことは嫌だ、もしくはレストランで騒がないことはいいことだという情動記憶によって、行動の性向なりブリーフ・システムなりが生まれます

 

 つまり、レストランでよく怒られた人や、よく褒められた人は、いずれもレストランに行った時は静かにする人となり、それがまさに日常における無意識の行動と無意識の選択、ハビットとアティテュードになるわけです。

 

 レストランに行ったとき静かにすること自体に、良い悪いという価値判断はありません。しかし、私はむしろ、子どものころに刻まれたこの手の情動記憶は問題であると考えています。

 

 なぜなら、3歳や4歳の子どもがレストランで騒ぐのは当たり前のことで、レストランで騒げない、つまり人前で騒ぐことができない大人からは、オバマ大統領のような人物は生まれません。

 

 あるいは、リーダーや主役をつくることができないということになってしまいます。

 

 したがって、子どものころに怒られたり褒められたりした情動記憶が本人にとっていいか悪いかの判断は、社会の状況や自分のゴールによってどちらにも転ぶものなのです。

 

 実は、ここが大切なポイントなのですが、過去の情動記憶がつくりあげるハビット、アティテュードが自分のゴールと合致したものであるか否かについては、何の保証もないということです。

 

 

 

     成功を邪魔する情動記憶

 

 ほとんどの人は、良い結果を生み出すことを妨げるようなハビットとアティテュードを驚くほどたくさん持っていると言えます。真に有能な人物になることを邪魔する情動記憶がマインドに根づいているということです。

 

 

 たとえば、音楽、仕事、食べ物、人間関係、どのようなものに対しても、あなたは自分が心地よいと思う方向に動きます。

 

 しかし、心地よいというのは、ポジティブに動くということだけを意味していません。

 情動記憶によって、感情レベルで痛いだろう、恥ずかしい思いをするだろう、傷つくだろうといった情報を知覚すると、あなたは無意識のうちにそれを拒絶します。

 

 自分にとって居心地が良い状態を維持しようとするホメオスタシスが働いて、その状況から逃れるでしょう。結果に対してネガティブな感情を持つあなたにとって、その方法が心地の良い状況だからです。

 したがって、私たちは、このような無意識の行動や選択を変える必要があります。

 だからハビットとアティテュードを変えることなしにゴールを設定しても、何をすればいいのかわからないまま、ゴールをあきらめることになってしまいます

 

 このようなハビット、アティテュードとゴールの関係を紹介すると、決まって生じる次のような誤解があります。

 

 それは、退行催眠やトラウマ療法、過去の情動に対するリフレーミング、あるいは過去の情動に対する感受性を下げるディスセンセタイゼーションのような方法を使ったらいいのではないかというものです。

 過去の情動記憶がゴールの達成にマイナスに作用するのであれば、その情動記憶に働きかけ、過去を細工すればいいというわけです。

 

 しかし、これは非常に大きな問題といわなければなりません。 

 

 なぜなら、退行催眠をはじめとする過去の情動記憶に対する働きかけは、トラウマを悪化させるなど、たいへん大きなリスクをともないます。しかも、仮に効果をもたらしたとしても、それがゴールと合致する結果を生むかは関係ありません。

 

 何よりも、過去の情動記憶に細工する最高の方法は未来に働きかけである、という重要な事実を見逃しています。

 

 もちろん、コーチは精神科医でも、臨床心理士でもありません。

 

 

 

***** 引用終了 *****

 

 以上のように、過去の情動記憶にむやみやたらと働きかける方法は

 

トラウマを悪化させたり、ゴールの達成に関係があるかどうかもわからない。

 ですので、前回の小冊子にも書きましたが、無理に過去のマイナスの情動記憶などを掘り返すことは、絶対にやらないでくださいね。

 

 では、なぜ私は『邪気』を浄化して《情動記憶》に働きかける方法を

 

ここに書いているのでしょう?それは、私が行っている方法は、これまでの方法とは全く違うからです。

 

 私がクライアントの『邪気』を浄化する方法での《情動記憶》に働きかけは、意図的に、無理やりに思い出させる方法ではないのです。

 

 まず先に、仮のゴールを設定した後に行っています。私の鍼灸マッサージの治療の現場でのゴールですので、ゴールは【身体の不調を解消すること】【心の疲れを取ること】です。

 

 【身体の不調】は、肉体(物理次元)に現れた情報(痛み、痺れなどの様々な生体の反応を脳が情報としてキャッチしている情報)であり、【心の疲れ】は、《心》という情報次元に現れている情報です。どちらも《情報》であることがお分かりになりますでしょうか?

 

 


脳と心が同じもの


 

 脳と心が同じものであり、情報次元の写像が物理次元に現れているということをまだ知らない方のために、簡単に説明して行きたいと思います。

 

 

 

 まずは、苫米地博士の著書よりみてみましょう。

 

  『思うままに夢がかなう超瞑想法』PHP研究所)

 

  P.34  情報が物理に影響を与える事例 

 

       ~心的トラウマと癌の相関関係~

 

 では、そもそもなぜ、情報を変えれば物理も変えることができるのでしょうか?

 

 情報空間と物理空間の関係性を「正しく見る」ことからはじめてみましょう。

 

 復習になりますが、物理空間とは「実際に五感を通じて体験できる世界」「物理法則が働く世界」のことで、情報空間とは「私たちの脳と心に存在するさまざまな情報が作っている世界」のことです。情報空間と物理空間は連続的に存在していて、情報空間の一番低いところにあるのが物理空間。つまり、物理世界といえども「情報の一部」に過ぎません。

 

 

 物理空間と情報空間の関係性について、これまでは物理空間のほうに情報が付いていると考えられてきました。例えば、りんごであればそのりんごに「皮が赤い」「かぐわしい匂い」「手で持てる大きさ」などなど情報が付いていると考えられてきたのです。

 

 しかし、実際は逆。物理に情報が付加されているのではなく、情報空間にある「特定の写像」として、物理空間に物理的実態が存在しているのです。つまり、私たちが現実に「ある」と思っているものはすべて「情報場」の「写像」に過ぎないのです。

 

 ちなみに「情報場」とは、情報空間における特定の座標を指す言葉です。情報空間には、人間の認識の数だけ、つまり無数に「情報場」が存在しているのです。

 

 たとえば、 

 

  人間に関する情報が集まっている場が、「人間の情報場」

  犬に関する情報が集まっている場が、「犬の情報場」

  東京駅に関する情報が集まっている場が、「東京駅の情報場」となります。

 

 まず先に情報空間の因果関係があります。その因果関係によって生まれた特定の情報場が、その写像として、低い抽象度である物理空間に現れるのです。

 

 先ほどの例でいえば、「人間の情報場」「犬の情報場」「東京駅の情報場」というそれぞれの情報場が、物理空間に物理的存在としての「人間」や「犬」や「東京駅」を現出させているのです。

 つまり、みなさんが見ているさまざまな事物は、もっと高い情報次元に広がって存在している情報的存在のごく一部、いうなれば足の裏に過ぎません。

 

 目の前の物理世界(足の裏)を観ているだけでは広大な情報空間にひろがる世界の姿を捉えることはできず、もっと高い抽象次元の情報空間(体全体)を認識してはじめて、世界のあり方を知ることができるのです。

 

 足の裏(物理空間にあるごく一部)ではなく、体全体(情報空間に広がる姿)を認識することが、「正しく見る」ということなのです。

 

 

歴史ある神社にいくと、なぜ「気」を感じるのか

 

 情報場と物理場の関係性について、「神社」などのパワースポットをイメージするとわかりやすいかもしれません。

 歴史ある神社にいくと、人はよく「エネルギーが集まっているみたい」「強い気を感じる」「鳥居をくぐると、気温が2、3℃下がるようなひんやりとした感じがする」といいます。

 

 神道を本気で信じている人は「この神社は神聖な場所だから、そう感じるんです」と説明するでしょう。これは物理空間(神社という場所)に情報が付いているという考え方です。

 

 しかし、実際はそうではありません。先ほども言ったように、情報場の写像として、物理場があるのです。

 

 日本人の多くは、

 

 「神社は神聖な場所である」

 「神社にはエネルギーや気が集まっている」

 「神社には冷気のようなものが流れている」

 といった「神社に関する情報場」を共有しています。

 

 その情報場の影響で、神社の敷地内(物理空間)に入ると、エネルギーや冷気を感じたり、神聖さを感じたりして、「神聖な神社」という物理場が現れるのです。

 ですから、先述のような「神社に関する情報場」を共有しない人、たとえば外国人や幼い子どもなどは、神社にはいっても感じないはずです。共有しない人にとっては、神社はただの空間に過ぎないのです。

 

 また、仮にその神社が改装をして鉄筋コンクリートの近代的な建物になってしまい、人々の認識から「この神社にはエネルギーや気が集まっている」「この神社には神様が宿っている」という情報が失われると、エネルギーも冷気も感じなくなります。情報場の変化によって物理も変わるのです。

 

 

 

 

   あなたも「あなた」という情報場の写像

 

 あなた自身の存在も、「あなたという情報場」の写像です。

 

 たとえば、「自分自身を定義してみて下さい」と言われたら、あなたはどう答えますか?……先に読み進む前に、少し考えてみてください。

 「私は○○だ」「私は○○をしています」と、主語が「私」の文章をできるだけたくさん思い浮かべてください。

 

 自分を定義するものは、名前、家族関係、出身地や現在住んでいる要素があるはずです。

 

 「私の名前は、山田太郎です」 「私には両親と兄・姉がいます」

  「私は東大出身です」 「私は○△銀行に勤めています」

 「私は渋谷区に住んでいます」「私はジョギングが趣味です」

  「私はお酒が苦手です」「私は明るくポジティブな性格です」

 などでしょうか。

 

 さて、これらの定義はすべて、「自分意外の存在(まわりの人、組織、物体、事象)など」との関係性を述べているだけです。あなたの心が、まわりの世界との関係しえの中で、「これが私」と認識している情報が「あなたという情報場」を形成し、その情報場に臨場感を持つことで、物理空間であなたという人間を生み出しています。

 

 つまり、あなたという人間の存在を正しく見ると、あなたも情報の因果関係によって物理空間に現れた「ひとつの写像」であることがわかります。

 

 超瞑想によって自分た世界を自由自在にコントロールするとは、物理的存在としての自分や世界を直接的に変えることではありません。まずは情報空間の場の因果関係に働きかけてコントロールすることで、結果として物理空間にも大きな影響を及ぼすことです。

 

 気功で病気が治ったり、人間が吹っ飛んだりすることもこの論理で説明できます。

 

 気功は、物理的な肉体ではなく、情報空間の場を書き換える行為です。情報空間の場を書き換えることができれば、抽象度の低い物理空間の現象である病気を治したり、誰かを吹っ飛ばしたりすることぐらい容易にできるのです。

 

   「正しく見る」とは、前頭前野で情報処理すること

 

 情報場の因果関係をコントロールするための第一歩は「正しく見る」ことです。

 

 情報空間でどのような情報場が形成され、それぞれがどのような関係性で結ばれ、その結果、物理空間にどのような影響を与えているか。情報空間の場の因果関係を正しく見ることが大切です。 

 

 本章のワークでは、この世界に網の目のように無数に広がっているさまざまな情報の因果関係を正しく見るための瞑想法をトレーニングしていきます。

 

 まずはワークに入る前に、「正しく見る」ことがなぜ重要なのかについて、もう少し解説しましょう。

 

 第1章の冒頭で、私たちが正しく見ることができないのは、「自我」が邪魔しているからだ、と述べました。 これは、最先端の機能脳科学の見地から説明すると、海馬と扁桃体が情報をやりとりするときに前頭前野がきちんと介入できていないということです。

 扁桃体はもっぱら生体や種の保存にとって重要なかどうかという観点で情報の振り分けを行います。その指標は「恐怖と愛着」いわば情動(煩悩といってもいいでしょう)によって情報を取捨します。 

 つまり、私たちは、自分の感情によってスコトーマを生じさせしまうため、「正しく見る」ことがなかなかできないのです。

 

 一方、前頭前野は、抽象度の高い思考を司っています。海馬と扁桃体のやりとりに、前頭前野が介入すると、抽象度の高い思考によって、感情を制御することができるのです。

 

***** 引用終了 *****

 

  

 

 脳と心が同じものということがお分かりになりましたでしょうか?よく『思考は現実化する』と言いますが、思考しか現実化していません。自分の思ったことしか現実になっていないのです。

 

 「今の状態になるようにと思っていません」という声が聞こえてきそうですが、あなたが意識的に思っていることが現実化しているのではなく、無意識に『自分の自己イメージ』がつくられており、その自己イメージの通りの現実になっているということなのです。

 

 無意識に作ってきた『自己イメージ』によって、あなたの行動、選択が現れて行きますので、先の小冊子に書いた私の過去の情動記憶が意識に上がった出来事(自転車事件など)からも解りますように「私は愛されない」ということが私にとっての自己イメージであり、それが真実であるかのように思い込んでいたために、「私は愛されない」という現実を作り出していました。

 

 

つづきはこちらになります→ 《100日修行 6》