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100日修行 3

100日修行 1はこちら→《100日修行 1》 、 2はこちら→《100日修行 2》 

 


タントウ功 ~あきら流~


 

  

タントウ功は、自分の氣を充実させます。

 

  

・足を肩幅に平行に開いて立ちます。

そして、大地を足の指で掴むように。どっしりと立ちます。  

 

 膝を少し曲げて、ちょっと腰掛けるような感じに腰を下ろします。 

 

*膝を曲げすぎてしまうと辛くなるので、きついと感じない程度に曲げる。

 

 


・背骨はまっすぐにするつもりで、壁を背にしているような感じで 身体の軸を意識して保つ。  

 

 舌を上顎につけ、上下の歯は合わせず噛みしめないようにしましょう。 

  

大きなボール(氣の玉)を抱えるような感じで、両手で輪を作るようにしましょう。  

 

 呼吸は自然に、長~く、細~く、ゆっくりと行う。意識し過ぎず、自然な呼吸に。

 

視線は遠くを見るような感じで、意識的に何かを見ようとしたり、目を瞑らないように注意。目を瞑って変性意識が深くなっていくことを望むのはやめ、逆腹式呼吸で身体の力を抜いてリラックスした状態、自身の氣を意識的に練っていきましょう。

 

 


止観瞑想


  

 苫米地博士の著書「全速脳」(宝島社)より抜粋

 

 ***P.189より 引用開始***

  

 仏教には、「止観」という概念があります。どういうものかと言えば、「煩悩を制御して観る」という意味です。

 

 この止観という言葉は、私たちの「あれが買いたい」「いくら儲けたい」「豪勢に遊びたい」といった煩悩を制御して自己を観察しなさいということを教えているのです。

  

 仏教においては、あらゆることを自己観察せよ、と説きます。

 

例えば、「私は今何を考えているのか」「何に対して怒っているのか」「何を悲しんでいるのか」をよく見つめて、また、身体でいえば足のつま先から髪の毛一本にいたるまでのすべてを意識しなさいというのです。

 

 なぜ、このようなことを説いているのかというと、自己観察を行うことによって、思考の抽象度が上がるということを、釈迦は経験的に知っていたからだと思います。

 

  止観の教えは、悟りを得るための方法論のひとつです。

 

そして、日本の古武術においてマインドの使い方を追求するために生み出した方法論のルーツとなったのが、この止観であるといえるでしょう。

  

 こうした仏教の考え方は、日本の古武術だけでなく、インドのヨーガ、中国の太極拳、あるいは沖縄の琉球拳法にも大きな影響を与えています。

  

 

***** 引用終了 *****

 

 

 その他、苫米地博士の著書『超瞑想法』(PHP出版)にも色々な種類の瞑想法が載っています。『歩行禅』など、歩きながらの行法もありますので、日々の生活に取り入れて行くといいでしょう。

 

 


止観瞑想 ~あきら流~


 

 私の場合は、結跏趺坐の姿勢で、ぷるぷる気功・タントウ功の後に《止観瞑想》を行っておりましたが、楽な姿勢のほうがいい感じがしたので、布団の上で両手両足を少し広げて仰向けの姿勢にしていきました。 

 

 止観瞑想の終了後に、そのまま寝ることもありました。 

 

 それ以外の時間帯…100日修行の決まった時間に行うだけでなく、日々の生活で誰かと接していて【情動】が、わき起こった時にもしています。

  

 【感情がコントロールできない状態】こそ……気づきのチャンスだと考えております。

 

 

 

 

 それはなぜかと言いますと、通常の意識状態とは明らかに違う意識状態であり、様々な情動に翻弄されてしまって自分を見失うような感覚の体感があるからです。

 

 そんな時こそ、自分自身の感情の動きが何から起こっているのかその根源にある自身の欲求が何なのかをよく観てみる」ことによって、気づくことが多いのです。

 

 ある時、嫉妬心からくる怒り・悲しみを体験した時のこと。その根底にあった【過去の情動記憶】が浮かんできたのです。小学校2年生の時にあった自転車事件のことが……(このことは、後の章で書いていきますね。)

  

 

 この時に作った「私は愛されない人間だ」という思い込みによって、その後の人生において、いつでも……「どうせ私は愛されないから……」と、やっていたことに繋がりました。

 

 そんな思い込みによって周りの人たちと関わっていたことに

気がつくとどうでしょう。 同じような思いが出てきても、「以前は思い込みによって翻弄されたけど、今は客観的な事象も観れるなぁ」と、抽象度の上がった視点に立てるようになったのです。

 

 私がそんな思い込みをしていたことに気づく前は、情動に翻弄されていたのですが、気づいてからは、その思考に対して、他の解釈も出来るようになっていきました。

 

 

 

 

 他にも、まだまだ気づいたことはあります。

 

 ピアノの先生に叩かれたり、うまくできたことさえ否定され、厳しく当たられたことによって「自己否定」の渦に巻き込まれるようになったことや、弟が生まれたときに「自分よりも愛される存在がいるのならば、いいお姉ちゃんの役を演じよう」と心に決めていたり。

 

 こういったことは、多くの人にも経験があるのかと思います。小さな頃に初めて体験した【強烈な情動】が、わき起こった時、当時の小さな自分には、どうにもできず、対処できなかった。

 

 その強烈な情動から感じた思いを、抑えることしかできなかった経験が、あなたにもあるかもしれません。でも、大人になった自分だったら、小さな頃に対処できなかったことを、再解釈していくことが可能になるのです。

 そうやって、日々の生活の中で自分自身の情動が激しく現れる度に過去に作った思い込みを自分自身で癒して行くことで、「マイナスな自己イメージ」から脱しやすくなっていきます。だからといって、無理やり過去のトラウマを思い出す必要はありません。自然に任せることが重要なのです。

 

 日々の生活の中で、誰かと接しているときに、自身に【強い情動】が起こったときに、よく観てみましょう。そういうタイミングの時は、その過去の情動記憶が意識に上がってももう翻弄されずに、ちゃんと観ることができる抽象度の高い思考が出来るときだからです。

 

 無理やり思い出しても、そのタイミングではないのでトラウマの再体験をすることとなりますので絶対にやめましょう。

 

 

 


100日修行を始めるタイミング


 

 

 

 100日修行に取り組むタイミングは、いつからでもいいです。 

 

ただ、一番効果的なのは「本気でやる!!」とあなたが覚悟し、心に決めた時です。

 

 100日というのは、短いようですが、いざ開始してみると長いもの。

 どんなに疲れた日でも、やるのです。

 どんなにやりたくない日でも、いえ、そんな日だからこそやるのです。

 

 100日修行に真剣に取り組んでいると、様々な縁が変化して行きます。それは、人との縁もそうですし、モノや環境との縁も。

 だからこそ、ゴールを設定して取り組むことをお勧めします。

 

 目指すゴールが魅力的なものでないと、真剣度に差が出るでしょう。

 取り組み方に違いが出るでしょう。

 

 自力で自分自身を変容させる!という強い意志必要なので、開始の時期はご自身で決めて下さいね。

 

 もし、続けることにめげそうになった時には、ホームページやブログで募集する満月と新月の時の「無料!一斉遠隔ヒーリング」なども行っていきますので、私からの氣を、ご自身のために使ってみて下さいね。

 

 あなたが大きく変容する過程を応援してまいります。

 

 

 

つづきはこちら→ 《100日修行 4》