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「私は愛されない」という思い込み
「私は愛されない」ということを現実化するために無意識にやっていたことは、『愛されていることを感じない』ということでした。
たとえ愛しているという人が現れても、それがスコトーマ入ってしまい、
愛してくれる人を避け、見えなくしてしまうのです。
たとえば、はじめてお付き合いした男性とのやりとりで起こったことがあります。彼とお付き合いするようになったのは、私が彼のことを好きになったことから始まりました。彼には他に好きな女性がいることを知っていたので、最初は見ているだけでした。ですが、どうしても気になり…「いいな~」と思う気持ちは消えませんでした。
毎日毎日、彼を見つめていて…話しかけることは出来ない。でも、どうしても好きな気持ちは消えなかったので、ダメもとで告白しよう!と思いラブレターを書きました。けれど、「お付き合いして下さい」とは書けませんでした。好きな気持ちだけを伝える手紙を書き、彼の手に渡るようにして…
その晩に、彼から電話がありました。
特に、彼からも好きだと言われたわけではありませんが、「付き合う?」と聞かれて……お付き合いすることになりました。お付き合いするまで話したことも無く、はじめて一緒に下校した時から、少しずつ解っていき、交換日記などでも会話をしていき……日々、彼のことを深く解っていくにつれ、さらに好きになっていきました。
手作りのペアの物を作ったりすることも楽しく、まわりの人たちから羨ましがられ……好き好きオーラ全開で一緒に過ごしていました。彼と過ごす日々は楽しく、一緒にいるときの空気感に癒し、癒されるうちに「彼は、私の唯一の味方だ」と感じ、それまでの孤独感から脱した気がしていました。
ところが、一年位経ったころ、一緒に帰る約束をしていたある日に、彼に「今日は一緒に帰れない。」と言われました。
それまでには考えられない……突然のことだったので、本当に驚きました。
ここで、私の【思い込み】の情動が発火し、父に「おまえのじゃない!」と一刀両断された時の感覚だけがフラッシュバックしました。
「私は愛されない」という【思い込み】の上塗りです。
父との関係性の中で感じていた「私は愛されない」という【思い込み】の上に、彼との関係性で「どんなに仲良くなっても、本当は愛されてなんかいない!」と。
それから、彼との関係性がギクシャクとしていきました。「私の唯一の味方だ」と感じていた感覚が無くなり、「最初から心は繋がっていなかった、私の勘違いだったんだ。」と思い込みました。
そして、「そうか、やぱり彼が好きなのはあの子なんだな……私はその子の代わりだっただけで、私が好かれていたのではないんだ。」と思い込み、彼のことは諦めることにしました。
そう思ったことなんて言えないし、彼の気持ちを聞くことなんて怖くて出来ませんでした。
私ひとりで【思い込み】からくる考え方だけしかできず、私自身の本心を伝えたところで…意味が無いだろうと決め付けました。
その後の私の男性との付き合う関係性は、全て「私は愛されない」という【思い込み】からの態度です。どんなに好きだと言われても、愛してると言われても、それは信じられない……
いつも、無意識に「どうせ私なんか…」という思いがありました。
それでは、私を愛してくれる存在は近寄れないですよね?愛してくれる存在だったとしても、それを私は【思い込み】によって絶対に受け入れないのですから。
そうなると、「愛してくれない」と感じられる人が近くにいて、本当に愛情を傾けてくれる存在だと感じると、防衛するための一線を引き、そういう男性との関係性は、遠のいて行きました。「私は愛されない」ということを現実化するための言動をするので、当然の結果が現れる「愛されない現実」を実現していきました。
これ、今だからこそ観えることですが、その当時の私には見えません。自己イメージの通りの自分になるような言動を、日々続けていました。
無意識に『自分の自己イメージ』がつくられており、その自己イメージの通りの現実になっているということは、こういう感じなのです。
無意識に選択していた通りの現実になっていたのです。ちゃんと。
……ところがです。この話には続きがあります。「私の情報場と繋がっている?」と感じるようなことが起こったのです。
私が父親との関係性の中で作った【思い込み】のことに関して気づいたあとに、20年以上も会っていなかった彼からメールが届いたのです。
そして、会って、別れた当時の話をしてみると……それぞれに【思い込み】をしていただけだったことが解ったのです。
「当時、それぞれに作っていた思い込みは、違ったんだね」と二人で笑いました。
こうして、父との関係性での【思い込み】、はじめての彼との【思い込みの上塗り】が意識に上がり、客観的に観て、情報処理し、【思い込み】から解放されました。
この「私は愛されない」という【思い込み】が無くなると?
私は、とても自由な状態になりました。
「私は愛されない」という根拠の無い【思い込み】によって作ってきた自己イメージを変えることができるようになったからです。
「私は人を愛し、愛される人間だ」というアファメーションが心に響くようになりました。
それまでは、どんなにそのアファメーションを唱えていても、心のどこかで「でも、私は愛されない」という思いがあり、愛し愛される関係性を築いて行くこととは真逆の言動を繰り返しては、「やっぱり私は愛されない」とやっていたところから脱しました。
…・・・この流れは、《100日修行》の《止観瞑想》にあたります。
ポイントは、前頭前野の抽象度の高い思考の介入をしていくことなのです。
私が子供の頃からやっていること
私のやり方で、抽象度を上げた思考をするための方法があります。
それは、リラックスして深い変性意識状態に入って行くことです。深い変性意識状態になるというのは、《瞑想状態》になることでもあり、その深さは、脳波にも現れるものでして……私は自分自身の瞑想時の脳波を脳波計で計ったことがあります。
少し、私の話をします。私はちょっと変わった子どもでした。
なぜかというと、ボーっと自分の意識状態の変化を楽しむことをしていたのです。ボーっとしていく深さを深めて行くと、目の前にさまざまな光が現れてくるので、その光を見ていることが楽しかったのです。面白かったのです。でもこれって、ちょっと変なことなのかと思って、誰にも言わないで
毎日、ボーっとする時間を楽しんでいる子どもでした。
現れてくる光を見ていると、規則性がありました。最初は、暗闇の中に青い光が出てきます。次は黄色い光が出てきます。その黄色い光が大きく広がって行くと、白と黒の模様(白と黒が交互にマスの目になっている)が
グニャグニャになっていて、中央に向かって渦を巻いていく状態になっていて、それが動いているのです。その動きを見ていると、次第にその白と黒のグニャグニャは、色が薄くなってフェードアウトして行き、暗闇の中の青い光が透けて見えてきてフェードインしてくる。
また、そこから青い光⇒黄色い光⇒白と黒のグニャグニャの繰り返し……
その光が見えるようになる身体の状態は、体感で違いがありました。
自分でその体感を、【3段階】に分けていきました。
1段階目では、まだ浅く、光が見えてこない段階。
2段階目は、少し深まって、暗闇と青い光が見えてくる段階。
3段階目は、すごく深まって、黄色い光からの一連の流れが起こってくる段階。
この3段階目に入るには、身体の力を抜くことが重要だと解っていったので、いつも3段階目に入るために身体の力を抜いて、意識状態を作って行きました。
日々、そんなことをしていた小学生の私。きっと、変な子だったと思います^^;
その頃からやっていた【体感】が、気功を学び、100日修行のに取り組み、止観瞑想をしていくとき、そして、ヒーリングをしているときに「すごく使える!」ということが解りました。
なぜかというと、私がやっていたことは、深い変性意識の状態に入るトレーニングをしていたということだったのだと気づいたのです。
気づいたのは、脳波計で、私の瞑想状態の脳波を計ったときです。脳波がベータ波の時が、1段階目に入っていない状態でした。
1段階目に入ったときは、アルファ波に入ったときでした。2段階、3段階目と深く入って行くと、脳波も変化して行くことが解ったのです。これには驚きました。自分の脳波の変化を、私は【体感】で解っているだけでなく、その【体感】を操作することによって、脳波を変化させることが楽々できるのです。「私はそんなことを小学生の時からやっていたのか。」と解りました。
【体感】が使える
子どもの頃の【体感】は、ヒーリングをしているときに使えるのです。
ヒーリングの現場では、クライアントと意識状態の上でつながり(同調し)その繋がったところのさらに高いところに、私の意識状態を移して行きます。そうすると、私が深い変性意識の状態に入って行くことで、クライアントを深い変性意識状態に連れて行く感じになります。
その深い変性意識状態に向かって行くときに、子どもの頃に培ってきた【体感】を使っていくのですね。クライアントは、深い変性意識状態に入って行くことによって《超瞑想》ができる状態になって行き、大周天ができる意識状態になるのです。
《超瞑想》の状態では、前頭前野の働きが活発になるので「正しく見る」ということができるのですね。
そうやって、ヒーリングの現場ではクライアントと一緒に《超瞑想》を行っているのが、私のヒーリングです。
そのための準備として、整体などを行って【身体症状】を意識に上げたりカウンセリングで【心の状態】で意識に上がった情報を明確にします。ここでは、決してトラウマを思い出させることはしません。過去の情動記憶がどんなものなのか、という質問など一切しません。
クライアント自身が自然に処理できる段階になるまで待ちます。でも、ただ待つのではありません。クライアントの心身の硬さを、緩めて解いて行きます。
自分自身の経験から、心身がリラックスしていないと深い変性意識状態に入れないことが解っているので、クライアントの心身の硬さが緩んで……ほどけて……リラックスできるようにと働きかけていくのです。
身体のあちらこちらにあるコリもそうですし痛みや痺れが出ているところもそう。関節が硬くなっていて、手足を動かす領域(関節可動域)が狭くなっていたらそこが動きやすくなるようにしていきます。
普段は痛くなくても、触られるとコリがあったり、痛みを感じる所もあるので、そういう場所を意識に上げていきつつ、背骨調整で頚椎や胸椎、腰椎の周辺の筋肉が硬くなっているところを緩めて行きます。
心のコリに関しては、『今、気になっていること』を列挙していくだけです。クライアントの自我が、現在、何に【重要度】を置いているのかを明確にする、意識に上げるというだけの作業です。ここで過去の情動記憶を引っ張り出したりしません。
そして、【脳エステ(R)】と呼んでいる施術の時に頭蓋骨調整をしながらクライアントの『邪気』を変化させて行きます。
私自身が深い変性意識状態に入っている状態で、クライアントも深い変性意識状態へ一緒に連れて行き、そこで『邪気』を私の共感覚で捉えて変化させるのです。
白いネバネバしたもの、茶色いドロ団子のようなもの、緑色の藻が絡んでいるようなもの、灰色のコンクリートの塊のようなもの、水色の棘のようなものなど……鎖がグルグル巻きに縛っていることもあります。
そのさまざまな状態に見える『邪気』を、ゆるゆるのフワフワにして、解いていきます。
ガチガチになっているものが、簡単にゆるゆるのフワフワにならないので
少しずつ引っ掻いて壊していったり、ガツン!とぶっ壊して行くこともあります。それが、『邪気を浄化する』という表現になっています。
私が『邪気を浄化』していくと、クライアントによっては、さまざまな人や、ものが見えてくるそうです。
子どものころの出来事や、忘れていた出来事、久しぶりに思い出す人のことなど、それに対して、「あんなこともあったな~」とか「そういえばそんなこともあったな」とか「あの人のことなんてすっかり忘れてたけど、そんな感じだったな」……など、色々な情報が現れてきては、消えて行くそうです。
ヒーリングが終了するころには、思い出したことさえ忘れているものが多く、特に気にならない状態になっているとこのとです。思い出したことさえも、ヒーリングの終了とともに、忘れちゃう位のものになっているというところです。
ここが、トラウマ療法などとは違う点ですね。
過去の辛かったことを掘り返して、改めて辛い経験を再現するのではなく
自然に思い出して、自然なこととして「そんなこともあったな」と受け入れ
自然な流れの中で、《情動記憶》の、特にマイナスな情動についての出来事が『もうどうでもいいこと』として処理されて行くのですね。
これは、クライアントが前頭前野を使って情報を処理している状態だから「自我」が邪魔をしないで情報処理できているのだと思います。
つづきはこちらになります→ 《100日修行 7》